コロナウィルスは世界中で甚大な影響を与えており、日本人のこれまでの行動様式にも今後大きな変化をもたらしつつある。今回は当社の受けた国内での影響や対応について触れてみたい。
真っ先に影響を受けたのはやはり中国関係で、正月明けに工場が再開出来ず2月の納品が出来なくなったことだ。結局再開は出来たが、コンテナの手配、輸送の遅れ等で、2月分の商品は3月にずれ込むこととなり売上が大きく減少することとなった。再開後も人が戻らないため生産能力が減少し、そのリカバーも中国全土が混乱と停止状態で挽回できず、資材も納期が遅れ3月も大きな影響と混乱が続いた。
当社では2002年に中国に工場を設立した直後、翌年にSARSサーズが発生し2月から6月まで行き来が出来なかったことを経験している。その後今日まで、海外ではアフリカでエボラ出血熱等いろいろなウィルス問題が発生したが、日本は幸いなことに影響が無かった。しかし、2002年とは中国との人の行き来は比較できないほどに相互交流が多くなっており、中国での報道と感染の広がりを見ると、今回はただ事では済まされないとの心証を受けた。その為、早速中国が心配でマスクや防護服を手配し中国やカンボジアの子会社には送るようにした。このことは、中国現地の政府からも感謝され地元での会社の評価向上につながったようだ。一方で、もしもの備えとして、マスクを手配し国内の子会社にも配り備蓄し、アルコール消毒液も準備した。その後2月中旬以降、中国が強引な封じ込め策で効果が出てくる反面、欧州、特にイタリアで感染者が急増し、日本でも感染者が急増する事態となった。
行動記録を見ていると、2月上旬までは出張も普段通りだったが、中旬からはキャンセルし県外への移動は控えるようになった。しかし、地元の福井市内のレストランでの食事の機会などは減っていない。海外出張は2月、3月、4月と予定していたが全てキャンセルした。中国駐在の工場長も1月20日に戻ってから、戻ることが出来なくなり、最初は日本からは中国が危険で躊躇っていたのが、そのうち日本人の感染リスク高まりで入国が難しく、さらに、飛行機も飛ばなくなり6月になっても中国に帰任できていない。
3月からはほぼ移動に制限がかかるようになり、上旬の東京出張はキャンセル、以降2週目以降もキャンセル、福井での会合も中止、リモートでの打ち合わせに切り替わった。以前より当社では東京のデザイン事務所、海外の工場や国内の工場との間でテレビ会議を実施するようになっており、リモートでの会議について比較的慣れていたことは幸いな事だった。2月から3月にかけ東京での在宅勤務に備えての準備を行ったが、東京港区芝にある事務所までの通勤に遠方の社員ばかりなので、時差出勤も取り入れ、一部在宅もミックスした体制にしたが、緊急事態宣言がなされる一週間前には全員在宅勤務に切り替えた。
福井の方は、3月18日に初の感染者が発生、その後感染者が急速に増え一時期は人口当たりでの感染者比率が全国トップになることもある。ゴルフのシーズンとなったが3月20日以降の予定は全てキャンセルとなった。学校や保育所が休校となり、女性の多い会社で子供の面倒を見なければならない社員も多く休みを付与することも多くなった。また、主力の事業がOEMでの受注生産で、相手先からの要望でデザインやサンプルを作成する仕事が多いが、肝心のお取引先の社員がテレワークで商品決定が遅れ、出張も出来ない来客も来ない状況になってしまった。その様な事もあり、福井でもテレワークを認めること、「三密」を避ける為の交代出勤、さらに週一日の臨時休業を実施した。
その他、勤務中の社員全員のマスク着用の義務化、密を避ける為、昼食も出来るだけ分散させるため各自の事務テーブルや会議室を使って良いことにした。会議もテレビ会議を使って3カ所から4カ所に分散して実施した。セキュリティーに問題があるとされたが、通信音声が一番クリアーな「ZOOM」にシステムを切り替えた。
5月に入り感染者数も落ち着くようになり、緊急事態も徐々に緩和されるようになった。福井県の方でも4月29日から新たな感染者は6月5日現在発生していない。福井の方でも学校が再開し、会社の対応も通常に戻す必要があるが、慎重な対応で進めたいと思っている。東京の方も引き続きテレワークだが、6月からは必要時は出勤可能とした。取引先の方もそろそろ動きが出てくるようになり、店頭での販売結果もレポートされるようになった。まだまだ慎重さも必要だが、関係先とはリモートシステムを使って積極的な情報交換を今後行うようにしていきたい。