日本人の英語の語学力だが、どうも中国や韓国と比べると平均レベルが低いように思える。そのことについて、日ごろ感じていることを述べてみたい。
かく言う私だが、英会話はこれまでかけてきた費用と時間に比べ残念なレベルにしかなっていない。大学入試に向けてかなり単語を覚えたが、中、高、大学で学んだ英語では会話に関しては全くものにはならなかった。もう20年以上前になってしまったが、3年近くネイティブのアメリカ人にビジネス会話の個人レッスンを受ける機会があり度胸だけは付いた。しかし、年月の経過で会話力は元の状態に退化していると思う。
2002年に中国に工場を設立し、現地の責任者との会話でお互い英語を使おうということになったが、簡単な単語がチャイニーズイングリッシュでは聞き取れない。日本と中国で同じ英単語の発音の違いを、お互いの英語のレベルでは聞き分けられなかったこともあり、早々に英語でのコミュニケーションは諦めてしまった。設立前後の2年間は出張の度に中国語会話の本を持参して試すこともあったが、現地の通訳の日本語が満足できるレベルに上達し、また、責任者自身も日本語が少しは出来るようになったため、中国語習得の方も諦めてしまった。その時は「外国語の習得は必要性に迫られてのもの、本当に追い込まれて学ぼうという気持ちが起こらない限り上達しない」と思った。
しかし、その後多くの中国人やカンボジアに進出して現地のスタッフ等に接していると、日本人の英語の習得力について、日本人が上達しない別の原因があるのではと考えるようになった。
話は変わるが、現在、当社では海外からの資材調達や香港のお取引先との折衝で英語を使うことが多くなり、日本人社員もメールのやり取りや英語のビジネスレター等にも対応している。しかし、肝心の会話での折衝には2人の外国人に頼っている。2人とも日本人と結婚して福井に在住する外国人で、一人は韓国籍である。本人の話として「韓国では英語が出来なければ、まともな就職が出来ない。英語をマスターすることが必須」ということで、大学卒業後ニュージーランドに語学留学したが、その時知り合った福井出身の日本人と結婚し、現在当社では貿易の仕事をして貰っている。日本語は学校で学んだわけではないが、日本語と韓国語は文法も同じでルーツも同じの為か、日本語会話のレベルは高い。
もう一人の外国籍の社員だが、彼女は語学の天才だと思っている。本人は中国の大学で英語を学び、中国に進出した日本企業の英語通訳として現地の福井の企業で働くようになり、日本人と結婚、その後、夫と共に日本に来日、福井大学で日本語を習得した。当社に入社する前に、ご主人の仕事の関係でベトナムに赴任し、その時ベトナム語や時間があったことで韓国語も覚えたと言っている。
当社のカンボジア工場では、工場責任者他中国人の技術者を雇っており、中国語の通訳が必要だ。また、現地のスタッフとの会話でも英語が必要な人材もいる為、中国語と英語が出来る人材として出張の折は同行して貰っている。
以下は、彼女の説の受け売りだが、日本語には母音が「ア、イ、ウ、エ、オ」の5つしかなく、外国語には日本語に無い母音があり、その事で聞き取れない発音があるとのことだ。英語でもゆっくり私に話しかける場合は何とか付いていける場合もあるが、ネイティブ同士が話し合っているのを聞き取るのは難しい。中国人だが、中国語自体が発音を一語ずつ聞き取れないと会話にならないこともあり耳が良い。しかも北京の標準語と地方での発音差は大きく、小さい時から聞き分けが出来ている。その分日本人に比べはるかに耳が良いのだと思っている。その事と文法が英語と中国語は似ており、英語の上達が日本人よりはるかに速い要因になっているのだろう。
余談だが、カンボジアのクメール語は英語に比べてもはるかに難しい。当社の駐在の日本人スタッフだが、クメール語の習得を始めたが早々に諦めてしまった。駐在の中国人だが現場でのカンボジア人との仕事上のやり取りが多いためか、少しずつだが上達しているように思える。現地で採用した福建省出身の中国人だが、クメール語が話せた。クメール語の発音と中国でも南の方の発音は似ているらしい。その為習得もしやすいのだということだ。
また、当社には小学校低学年まで、親の仕事の関係でオーストラリアに居た社員がいる。その後日本に戻ったため英語の方は忘れてしまったが、中国出張の機会が私よりはるかに少ないのに関らず中国語が上達している社員がいる。また、英語のヒヤリングもどこまで聞き取っているのかは不明だが、私よりは優れている。やはり、幼少期に耳が鍛えられたのではないかと思っている。
今回の結論だが、聞く耳が発育する幼少の時期に外国語に慣らさない限り、日本人の外国語の習得は難しいと思う。日本人の外国語教育について小学校より教科に取り入れるということが今後進むということが取りざたされているが効果は疑問だ。幼少期にネイティブな外国人にクラスを受け持ってもらい、小学校高学年までそれを続けなければ、会話力の優れた人材は育たないと思っている。しかし、今後AIの発達で便利で使いやすい自動邦訳機が出てくると思う。これまでの努力が必要とされない時代が来るのかも知れない。