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ニュース松尾文夫さん
BLOG2020.2.6
松尾文夫さん

米国政治の研究で第一人者だった共同通信社の元ワシントン支局長を勤めた、福井県にはゆかりのある松尾文夫氏が昨年亡くなった。一時期は同社の常務取締役もされていたと思う。同氏は小学校の時期の終戦の間際、祖父の故郷の福井市旭地区に疎開してこられたが、空襲を福井で経験し、その事が、その後の米国研究の原点になっている。

同氏の祖父は、1936年の二二六事件の時、身代わりとして首相官邸で亡くなった松尾伝蔵陸軍大佐である。当時の首相は同じ福井県出身の岡田啓介海軍大将で、義弟の関係で官邸に事件当日に詰めていた。

同氏とのご縁だが、私の父が生前お父様の新一氏と深い交流を頂いており、私の父の葬儀では健康が優れない中、東京からわざわざご参列頂いた。その一年余り後、今度は新一氏が亡くなったため、その葬儀に参列し、初めてお会いしたのが契機となっている。その葬儀の後の直会で、迫水久常元郵政大臣の秘書で父と親しかった前田源一郎氏から、文夫氏と他3人の弟さんの紹介を受けた。

その時の前田氏からの紹介は、今の上皇とのご学友ということで、共同通信の話は無かった。しかし、文夫氏ご本人の口からは一切陛下とのご交流の話は無く、お聞きすることは憚れる雰囲気があったため、その後私からお尋ねすることは無かった。

福井で空襲という体験を経た後、終戦後東京に戻り学習院大学を卒業し共同通信に奉職されたが、学習院時代は確かにご学友だったと思っている。余談だがお父様の葬儀が行われたのは、福井駅近くで菩提寺の曹洞宗の鎮徳寺で、葬儀には当時の福井県知事の中川平太夫氏が参列され、葬儀の時間一切正座を崩されずに座っていらっしゃったのが、今でも記憶に残っている。

戦後、松尾家の親戚が全て県外に出てしまったこともあり、福井に来られた折は、遠縁ということもあり同氏を囲む会にお呼ばれすることが多かった。

私の父の実家と松尾家のお父様の実家は近く、叔母にあたる清子様とは父が同級生だったと聞かされている。清子様は中曽根内閣の行政改革や山崎豊子氏の著作「不毛地帯」のモデルとなったことで有名な瀬島龍三氏と結婚された。その後、瀬島氏ご夫妻とは知遇を得て、私が青年会議所理事長時代に福井来て頂きご講演をお願いしたこともある。

松尾氏との想い出だが、青年会議所の理事長ということもあり、地元のテレビ局の対談で聞き役として指名されたことがある。その後2回目の対談だったと思うが、当時のブッシュ政権がイラクに戦争を仕掛けるというお話をされた。不勉強だった私がまさかと思ったが、それが本当になったことが印象に残っている。アメリカの銃社会の歴史についての本を渡され、日本人のルーツとは違う面を知ることとなった。

もう一つは、福井での最後の講演となったが、オバマ大統領の時代に、日米の真の和解のためには、米国の大統領が広島を訪問し、日本首相がハワイの真珠湾を相互に訪問することが必要と話されてことが強烈な印象として残っている。そして、それは実現した。同氏の願いが安倍首相の真珠湾訪問に、少なからず影響を与えたのではないかと思っている。

冒頭、福井空襲のことを触れたが、同氏は福井に疎開する前に最初のB25による東京空襲も経験しおり、その時のパイロットとも戦後その実家を何度か訪ねて交流を深めた。米国の研究は空襲で逃げ惑う中での強烈な体験が原点になっているが、残念なことに昨年2月、出張先のアメリカで帰らぬ人なった。

昨年、福井での遺族による偲ぶ会が実施され、10月に岩波現代文庫から増訂版「ニクソンのアメリカ アメリカ第一主義の起源」が出版され偲ぶ会参加者に送られてきた。大変分厚い本で完読に時間が掛かったが、我々日本人が不可解と思っている点の、アメリカ人の思考の原点が理解できる内容になっている。

偉大な米国研究の第一人者を失ったことはとても残念だが、日米の相互交流に寄与されたことは、祖父の松尾伝蔵大佐、終戦に寄与された大伯父の岡田啓介海軍大将と並んで偉大な功績を残されたと思っている。心からのご冥福をお祈りしたい。