NEWS
ニュース
ニュース大学入試制度改革
BLOG2020.1.30
大学入試制度改革

迷走の大学入試改革について、日経ビジネスに開成中学、高校の校長の柳沢幸雄氏とUWC ISAK Japan 代表の小林りん氏の対談が載っていて、内容に賛同したので紹介したい。

その前に恐縮だが最近の教育で疑問に思った自分の話を先にしたい。会社の社員の話で、誰なのかすぐ分かってしまうので書くべきか迷ったが、双子を生んで、それぞれが別の高校の進学校に合格し、現在は2年生で学校が終わった後は同じ塾に通わせている社員がいる。二人の高校が違うため塾の曜日が異なり毎晩9時半には塾に迎えに行って大変な思いをしている。本人は会社でも頑張って貰っているが、夕飯が終わって毎晩塾に迎えに行き、その後食事の世話をしている話を聞くと本当に頭が下がるが、今の大学受験に高校の勉強と参考書だけでは合格出来ないのだろうか。

また、記憶力は抜群で答えを暗記してしまって、なぜこの様な回答になったのかを考えることが苦手な社員がいる。実社会では正解が一つでは無いことが多い。一つ一つの問題に対してなぜこの様な結論になったのか考えることを事が、今後の人生にとっても大切だと話した社員がいる。

最近読んだ、平山真也氏の著書「成功に奇策はいらない」の中で、彼がアメリカの高校を卒業して日本の大学に進学した時の体験が書かれていた。いわゆる帰国子女だった著者は日本での学校教育は受けていない。入学間もない頃、同級生との会話でロシアのエカテリーナ大帝の話が出たとき、彼がエカテリーナの実施した社会改革のことを話そうとしたら、周りの学生たちが「エカテリーナって啓蒙専制君主の一人だよね」「そうそう」「他の啓蒙専制君主を2人挙げよ」「フリードリッヒ2世と・・・」などと会話し、話してみると、彼らはエカテリーナ大帝の行ったことはろくに知らず、それに対して何の意見もなく、ただ用語や年号を覚えているかを自慢していた。なんだか不気味なものを見てしまった気がしたと書かれている。見回しても、大志を抱いている人はいない。暗記力は抜群だが議論が出来ない人ばかり。ごく一部の司法試験にまっしぐらの人を除いて、周りの学生たちはみんな、勉強もせずにサークルで遊び、お酒を飲んでいるばかりのように見えたと書かれている。このことに関しては私自身も学生時代そうだったので反論は出来ない。また、同時に、物事を自分で考えることより正解を覚えることに偏重した教育のあり方をはじめとして、日本社会に対して問題意識を抱くようになったと書かれている。

また、県庁に勤めていたOBの同級生と話していて、「最近の職員だが伸び切った形で入庁してきて、30歳代なってから伸びない」と話していたことも印象に残っている。

話を本題に移そう。先に例示した様々な問題に対し、改革が必要ということが今回の大学入試改革の発端になったのではないかと思う。お二人の対談の中で、今回の改革の中で、外国語では4技能(読む・聞く・書く・話す)、国語や数学では記述式問題を重視しようという方向性は非常に正しいと述べられていた。ところが、今回の批判は、採点になると採点者の技能に問題があるのでは、また、一部の民間業者に委ねられて問題だとされている。採点の平等性に問題があるとされるが、実社会では不平等はつきものだと思っている。一点刻み、一発勝負ですべてが決まることを続けていてよいのかということを改革してほしい。

大臣が代わって、それまでの議論はどうだったのかと思っている。また、マスコミや野党の方も平等の観点から揚げ足を取るような批判を繰り返している。私の意見としてはそんなことなら統一試験そのものを辞めてしまえと言いたい。

外国語に関しては、海外の文献を読むことが大学研究では必要だが、聞く、話すことが実社会では重要だ。対談の中で英語の技能は、TOEFLを使ったらとの内容があったが賛成だ。また、問題意識を持ってもらうために、自分が受ける大学で将来の為にどの様な勉強をしたいのか、さらに将来の目標を論文の形で大学に提出し、面接で採否を決めても良いのではないかと思っている。

記述式の試験だが、大学の先生が責任をもって問題を作成し、採点する方が良いと述べられているが、これも賛成だ。統一試験前に受験した私なので、今の統一試験の内容を十分理解しているわけではないので、意見が偏っているのかもしれないが、先に挙げた問題を解決しなければ、国際競争力の無い将来の若者が増え、日本の国力が衰えるのではないかと心配している。