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ニュース金華市、義烏市、嘉興市訪問
BLOG2018.6.11
金華市、義烏市、嘉興市訪問

今回の中国出張で、久し振りに、表題の浙江省にある都市を訪問したので、中国のそれらの近況をお伝えしたい。

当社の中国子会社、浙江蒂娜尓時装有限公司(以下 ティナー)は、名前にある通り、中国浙江省に2002年に設立した会社である。浙江省は、中国上海の西隣に位置し、面積、人口が韓国(大韓民国)とほぼ同じの6千万人の人口で、台湾と近いことから国営の重工業は少なく、繊維など軽工業が盛んで、所得は全国の中でも一番高い所得の省である。省都の杭州市は人口600万人で、昔、南宋の時代の首都となった都市である。次に大きいのはかつて永平寺開祖の道元禅師が学んだ天童寺のある寧波市で約500万人、4番目に春秋戦国時代の越の国の都、お酒で有名な紹興市で約400万人となっている。

ティナーは、4番目の紹興市の中の諸墍市(ショキZhuji)という町に所在している。その諸墍市だが、広さは福井県の越前地方とほぼ同じ面積で、人口は100万人になっている。

現在も福井県は浙江省と、また、福井市は杭州市とそれぞれ友好提携契約を結んでおり、紹興市と福井県芦原市も戦前の偉人魯迅との関係で友好提携している。

当社が進出したのは、その様な友好関係での往来が盛んな頃で、当時は福井商工会議所も駐在員を杭州市に置いていた。

2000年頃からだが、当社も取引先から海外進出を強く促されるようになった。既に業界では、北は大連、青島地区、南は広東省にかなりの企業が進出しており、その時期だと後発になる為、同業が少ない上海地区が良いのではと考えた。また、隣の浙江省とは、行政が友好提携を結んでいて、当時の商工会議所駐在員を伝手に、省内で提携出来そうな企業を探して貰い、ラウンドすることとなった。

紹興市を皮切りに南に新昌、それから金華市、湖州市、嘉興市をラウンドした。当時は、上海→杭州→寧波市までは高速が出来ていたが、これらの市の移動は全て一般道路で、高速網が出来た現在では考えられない長い道程だった。金華から湖州に移動する途中、是非寄ってくれということで、進出当時の諸墍の工場を見学した。留守番役の人が工場を案内しただけで、短い立ち寄りだったが、まさか2年後そこに進出するとは、不思議な縁を感じている。

前置きが長くなったが、最初に紹介する金華市は、軽工業が盛んな浙江省では、珍しく重工業が盛んな町である。また、台湾人がわざわざ買いに来るという金華ハムが特産品になっている。2000年最初に訪れた時は、下着を専門に作っている工場は、若い夫婦が経営している60~70人程度の工場が唯一ある程度だった。その時は、創業から経験も浅く外国人への警戒が強いのか注文を受けて貰えなかった。その後、2010年頃再度訪問するのだが、1500名の工場に変身していた。今回は3度目となる同市にある企業訪問だが、創業者は四川省出身で、最初は広東省に出稼ぎに行き、その後2005年に先程紹介した工場で2年働き、2007年に独立して、現在は、奥さんと弟夫婦の4人が中心となっている200名強の会社である。

レンタル工場の為、あまり綺麗とは言い難いが、1階が裁断やモールド、2階が縫製、検査、包装となっており、20名程のラインが5ライン稼働していた。工程数が多い品番の場合はラインを合併させて生産するようにしており、一つ一つの工程の設定秒数が出されており、それぞれのワーカーが本日何枚生産しなければならないのか示されている。隣り合ったミシンの真ん中に流し台があり、それが一定時間になると、設定時間に合わせベルトコンベアーのように前に進むようになっている。この様な生産をする場合、ワーカーの突然の休みで穴が空いてしまうのが問題だが、それに備えて、「備工」という人を置いている。普段はサンプル作成等をしているが、ラインの欠員に備えて、何時でもヘルプに入れる仕組みで、どの様な工程でも対応出来る多能工が担当している。

現場は、オーナーの奥さんが管理しており、設定の秒数も彼女が経験から算出したものだ。その会社で、感心したのは残業をしないことで、中国では本当に珍しい。定時に帰るようにしており、普通は仕事が終わるとワーカーは疲れて不機嫌な顔になるのだが、ここでは、みんな笑顔で帰宅するということである。

この会社について、どこまで信用して良いか手探りだが、品質に対する日本人の考え方を理解して貰えるなら、高速道路を使えば車で一時間の距離でもあり、今後結び付きを強めても良いと思った。

金華市の帰りに、次に訪問したのは義烏(Yiwu)市の企業である。当社のある諸墍市と金華市の、ちょうど中間に位置する。この町は、知っている人にとっては、大変に有名な所で、日本で販売されている百円ショップの商品はほとんどここから仕入れされるといって過言でない。今回は立ち寄らなかったが、中心部に「小商品市場」があり、事務用品やおもちゃ等雑貨品を取り扱う問屋やメーカーが大変な数、軒を連ねている。高速沿いからは鉄道のコンテナヤードが見えるが、中国の「一帯一路」の政策の元、ここで積まれた鉄道コンテナが、はるばる欧州まで運ばれている。

進出当時の2000年初頭から、訪れる度に活気を感じさせる町だが、「小商品」だけでなく、繊維に関しても非常に盛んな町で、4月に訪れた深圳での展示会でも、この町の企業が多く出品していた。

今回は、2009年創業の成型インナーの若い会社を訪問した。責任者は若く、2007年に大学を卒業、9年に独立して今日に至っている。欧米輸出が主で、日本、韓国向けは一部と話していたが、イタリア製のサントーニ社製の成型丸編み機を65台保有している。工場はレンタルの様だが、一台の価格は30万元(約5百万円)、合計3億円強の設備資金をどの様に確保したのかは、機会があれば聞いてみたい。この町は、とても活気があり、この様な若い企業がどんどん生まれている。

今回の出張で最終日、上海に移動する前に訪れたのが、嘉興(Jiaxing)市の企業である。この町は上海にも近く、日系の企業や、資材仕入れ先もあり、2000年に訪れた後も度々訪問している。最初に訪れた時は、商社の紹介で肌着を作っていた工場で、その会社のことは覚えていないが、お土産で渡された猪肉の「粽」(ちまき 中国語=粽子)が印象に残っている。この町にある高速道路のサービスエリアが、ティナーと上海市との中間地点にある為、常に立ち寄っている。そのサービスエリアの名物がこの粽(ちまき)で、簡単に食べられる軽食として、時々利用している。中国のサービスエリアの食事で美味しいものに出会ったことは無いが、ここの粽は美味しい。今は中国のことが詳しくなったので、猪肉と書かれていても、日本の豚肉のことと理解出来る。しかし、最初日本に持ち帰った時は、イノシシの肉かと思って捨ててしまった。

この町は、上海に近い為か、製造業にはそろそろ向かなくなっているように思える。今回、訪れた企業も市中心部に近く、今後、何時移転を政府から言われるかと心配していると話していた。それでも、2001年創業から、一度移転をしていると聞いているが、中国の建物は10年経つと直ぐに古く思えるようになり、ずいぶん歴史のある会社に思えた。訪れたのが土曜の昼過ぎだった為か、商品の展示のしてある3階建ての管理棟には人がおらず、応対してくれた副総経理しかいない。工場も広いが人が少なく、年齢も高齢化が目立つ。

この会社の周りは、繊維関係が多く、特に靴下の会社が多いそうだ。また、当社のブラジャー生産に欠かせない、肩紐等の細幅ゴムの会社も近くにある。ただ、人材の確保は苦労しているのではないかと思う。これは、上海近郊に近づくほど顕著で、作家山崎豊子の「二つの祖国」の取材時、通訳をした方(主人公の名前が通訳してくれた社長の名前)の会社も、かねて人集めに苦労していると聞いていたが、昨年、とうとう商売を止めた。出稼ぎに頼った運営については、そろそろ限界が来ているのかも知れない。

紹介した3都市とも、2000年当時とは大きく変貌している。浙江省は中国の省の中でも最も所得が高いと、先に記述したが、人口、面積とも一つの国の大きさと同じサイズで、杭州市には、ネットで有名なアリババも所在している。随所に発展の矛盾も感じることもあるが、各都市が競うように目覚ましい発展を遂げている間は、立ち止まることは無さそうだ。